説教広告が悪いわけでもないんじゃないか。

衰退しつつある産業がやりがちな「お説教広告」について - ココロ社

本当のところ、どっちなんですかね。お説教広告って衰退してるのか、それとも微妙に復活してきてるのか。世情が不安になるにつれ、共通感覚の土台を少し前の日本的風景に求めるようになり、その結果、旧態依然とした大人、女性感を明言することがうけるようになる。って流れのなかの広告かと思っていましたが。

まあでもそんな懐古主義に溺れる大人なんて、日本のなかでもごく少数で、ニッチなマーケットであることを想像すると、そこをターゲットにしたマーケティングはそもそも失敗だろうというきはしますが。ただ、件のブログでかかれているようにお説教広告がだめというより、お説教の根拠となる思想が、ロートルすぎるというのが問題なのではないかと。

共通感覚の土台を求めているのは間違いないにせよ、その求め先は、年賀状ではなく、あくまでLINEでのあけおめメッセージなのでしょうから。昔の大人像を語るのではなく、エクザイルかなんかに、兄貴的に、おれらのつながりは大事だぜ、挨拶は大事だぜ、手書きのメッセージも嬉しいよなとか、そんなかんじの説教なら日本のメジャー層にはひびく広告にはなるんじゃないですかね。まあ個人的には、そんな広告見たら死んでしまえとおもいますが!

でも、たまには説教うけたいなあとか思う時もあるのよねえ。。